庭造りの難しさ

昨日から植木屋さんが作業に来ています。境内の木々の余分なところが整えられていくのは気持ちが良いです。

木はどんどん大きくなるので、適度な大きさに止めておくには常に注意して見ていなければなりません。私は植物についてそんなに詳しくはありませんが、去年木の伐採の名人さんとお話をしたときに、どのように育っていくのか想像して先を見る目が大事だということを教わりました。それぞれに手を加える時期というのもあるんですね。それから境内を見渡すと、後々何らかの支障をきたす可能性がある木や枝というのがなんとなくわかってきました。さらに運気のことも考えると、木というのは簡単な気持ちでは植えられないものなのだと、重~く感じました。気づくと全体のバランスが崩れていたりするので、成長するものを全て把握して整え続けるということがとても難しい・・・。

例えばここは↓百日紅の枝が塀を押したり、花や葉が落ちて塀傘を傷めるので、塀に影響がある部分をバッサリ切ってもらいました。

お寺のことをだんだんと引き継がれていく中で、住職の動きと境内全体を観察しながら、どう整えていくのか考えてできるところはやってみるようになりました。幸いなのは、失敗したり残したいものを切ってしまった時に、住職は怒るとか反対するとかではなく、どうしてそうしたのかを察して見守ってくれているというところです。だんだん「どうしてそれを植えたのか」「今はどのように考えているのか」を聞きながら将来的な姿を想像して意見することもできるようになり、少し楽しいと思える部分も出てきました。

福田寺の本堂前から山門のあたりの庭石は、今は亡き総代さんが一人で作業をして整えてくださいました。そのときはよくわからないできれいだという気持ちだけで眺めていましたが、自分でその中に入ってみると、その方がどのようなイメージで造っていったのかわかってくるものですね。それを保つように住職は手入れをしてきたので、私たちも後に続きたいと思います。

 

今朝、今年一番最初の蓮が咲き始めました。