片耳の景色

2026年4月25日

寺族の私事ですが、私は右耳が聴こえません。

聴こえなくなったのは、去年の4月。
突然「きゅ~~……ぽ。」と、蓋をされたような感覚があり、その瞬間、映画の最後に「おしまい」と出る場面が頭に浮かびました。

翌朝、現実とは思いたくないほどのめまいと嘔吐に襲われ、住職に病院へ連れていってもらいました。吐き気で何も食べられなかったのですが、帰り道、普段は飲まないセブンイレブンのスムージー(バナナとイチゴの)を買ってきてくれました。それが思いのほかやさしく体に沁み込み、とても美味しかったのです。

今でもセブンイレブンの棚を見ると、あのときのやさしさと味を思い出します。

それから数週間は、まさに怒涛の日々でした。

医師からはすぐに
「もう治らないから、早く慣れたほうがいい。とにかく歩くことが大事」
と言われました。

これまで通り生活すること。そして歩くことで、聴こえなくなった耳の働きをほかの感覚で補うのだ、と。

ちょうど忙しい時期だったこと、そしてお寺の環境が広いことは幸いでした。

お堂を行き来し、階段を上り下りし、外のご案内をし、砂利道や坂道を歩く。
何もかもがリハビリになりました。

それに加えて、朝晩は目を閉じて足踏みや、もも上げ体操。

体のあちこちが痛くなりましたが、片耳で崩れたバランスを取り戻そうと、体が懸命に調整しているのだと感じました。

半年ほど経つころには、揺れはだいぶ落ち着きました。

さて、片耳難聴になったことを悲観しているわけではありませんが、気づいたことがあります。

ひとつ目。聴こえない耳は「無音」ではないということ。

常に砂嵐や電子音のようなものが鳴っていて、そのため左耳だけでは周囲の音が聴き取りづらいのです。
大勢の中や屋外での会話では、特定の声を拾うのが難しく、予測できない雑談はとても大変です。言葉を聞き取ることにエネルギーを費やすので、疲れやすいです。

お店のレジで何を言われているのかわからないこともよくあります。

反対に、静かな場所で対面での会話は安心してできます。
また、大人数でも目的がはっきりしている「会議」は大丈夫です。

ふたつ目。音の方向や正体がわからないこと。

病院で名前を呼ばれても、どこから呼ばれているのかわかるまで時間がかかります。
指示も聴き取れず、キョロキョロ、うろうろしてしまうこともあります。

お寺でも、声が聴こえてもどこからなのかわからず、出るまでに時間がかかることがあります。

また、物音が何の音なのかわからず、住職に確認することもあります。

台所では、右側にあるガスレンジの圧力鍋の「シュンシュン」という音が聴こえません。
そのため、圧力鍋を使うのはやめました。
火の扱いには、以前よりずっと慎重になりました。

三つ目。聞き間違いの多さ。

以前は両耳で聴いていたのだと、つくづく思います。

「長嶋茂雄が亡くなったんだって」と言われたのに、
「え? 大橋巨泉が?」と聞き返したことがあります。

聴こえない部分を想像で補ってしまうのでしょうか。
でも、そのときは本当にそう聞こえたのです。

ちょっとのことでも何度聞き返しても面倒臭がらずに答えてくれる住職に感謝です。

四つ目。論理的に受け止めるのが難しくなったこと。

もともと感覚派ではありますが、特に会話の中で、理屈で整理しながら受け取るのが難しくなったように感じます。

文字で読むほうがまだ理解しやすいのですが、読むことに疲れるのも早くなりました。以前より集中力も長く持ちません。

いろいろ書きましたが、思っていたより大変ではない一方で、想像していたよりもできないことが増えました。

けれど、世界は広がりました。
生活は新しくなりました。

同じような動きをしている人を見て
「ああ、きっとこういうことで困っているのだな」とわかることもあります。

また、同じ症状でも、受け止め方や不便さは人それぞれ違うのだろうとも感じます。

今の私は、これからの私に必要な状態なのだと思っています。

ただ、ただ、多くの人に伝えたい。

心の声を閉じ込めすぎないでください。

そして、ストレスからかな?と思う頭痛をそのままにしないでくださいね。

↑ワイヤレスイヤホンで音楽を聴くのは初めて。一瞬で別空間に行けるのがとても良い。片方だけ使ってます。