しろんつぁんと私

「四良次様」のことを、柳津では「しろんつぁん」という発音で呼んでいます。

しろんつぁん、しろんつぁん、と聞いたり言ったりしていて、とても身近な存在です。

なので、今回はしろんつぁんと書きます。

私が3歳の頃、それまで山の斜面にあったしろんつぁんのお堂が、新しく庫裡の近くに建築されました。

新しいお堂の中の天井を見上げると、色々な絵が書いてあり、それを見て、「あ、ウサギは絵に描くとああなるんだ」「馬の体はああなっているんだな」などと発見して、よくお堂で寝転んで天井を見ながら、真似して絵を描く練習をしたものです。

幼なじみとも、お堂や境内でよく遊びました。

(でも、ろうそくでの遊びは、今考えるとなんと恐ろしい!何事もなくてよかったです(-_-;)きっと、見守ってくれていたのだと思っています。)

四良次講の方たちは、よくしろんつぁんのお話をしてくれました。口伝えの話だから伝えなければいけないと、私に話していたのだと思います。

お札場で受け付けなどを手伝うようになると、お参りに来られた方からも、しろんつぁんに関する言い伝えを教えられました。

子どもでしたが、なぜ違う町からもしろんつぁんに来るのだろう?と不思議に思いながら話を聞き、でも、大切なんだな、と感じていたのでした。

14歳のとき、驚くような大雨があったときのこと。

山崩れも心配だし、庫裡にはいられないということで、しろんつぁんのお堂に避難して寝泊まりすることになりました。怖い怖い夜でしたが、お堂の中は安全地帯みたいでした。

翌朝、本堂脇にあったはずの、前の四良次さまのお堂とお墓が土砂崩れで無くなっている!

でも、本堂と庫裡はすれすれのところで無事でした。

「しろんつぁんに助けられた」と、両親は言いました。

そのときに土砂の中から見つかったお墓を、今は地蔵尊堂の中に安置しています。

 

大人になり、しろんつぁんに対しての意識が変わっていきました。色々な資料でしろんつぁんが亡くなった当時の様子を調べ、口伝えで知ったことと照らし合わせ、お参りにお越しの方に伝えるようになりました。

私自身も何かあればお祈りし、大変なときは祈祷を受けます。

それはどのような形かで、導かれます。

しろんつぁんが亡くなってから、今年で290年。

今の出来事も、しろんつぁんが引き合わせてくれた運命だと感じているところです。